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大阪府立桜塚高等学校旧塀(元豊中高等女学校周塀)

ページ番号:473278118

更新日:2023年5月11日

写真1

登録文化財
大阪府立桜塚高等学校旧塀(元豊中高等女学校周塀)
(おおさかふりつさくらづかこうとうがっこうへい(きゅうとよなかこうとうじょがっこうしゅうべい))
所在地:豊中市中桜塚4丁目1-1
登録年月日:平成21年(2009年) 1月8日

学校の沿革

 大阪府立桜塚高等学校には昭和13年(1938年)に豊中高等女学校として創設されたときの塀が敷地周囲の三ヶ所に残っています。豊中高等女学校は昭和12年(1937年)に大阪府立第十四高等女学校として大阪市東成区生野高等女学校の中に創設され、翌13年に桜塚の現在地に校舎を建設・移転し府立豊中高等女学校と改称しました。そして昭和23年(1948年)の学制改革で府立桜塚高等学校と改称し、男女共学の高等学校となり現在に至っています。

校舎を囲んだ当初の塀

 創設時の長方形の敷地は、当初その周囲四辺を低い塀で囲んでいました。その様子は昭和10年(1935年)代から50年(1975年)代初頭に撮影された上空からの俯瞰写真や校内の風景写真をはじめ、戦前の旧校舎を描いた「全景鳥瞰図」および「大阪府立豊中高等女学校平面図」から知ることができます。北辺の中央に正門があり、他に五つの通用門を開いていました。「全景鳥瞰図」は北方から見たもので、北塀部分を精密に描いていますが、その塀の様子は北辺に現存する塀とよく合っています。現状と違うのは西北部で塀が今よりも小さな隅切になっていること、塀の外側に石列で縁取りした低い植え込があることです。

残存する当初塀

 当初の塀はレンガを積んで柱とし、柱と柱の間にコンクリート・パネルを嵌めた構造をもちます。当初の塀は北辺の左右と東南隅の隅切り部分とに残存しています。
 北辺の西端に現存する柱は扇形をしており、以前はこの柱から隅切があったことがわかり、それは「全景鳥瞰図」の描写と合致します。 
 この塀は高さが低く、透かし見ができるなど高圧感を与えません。建設された当時の郊外地の雰囲気をよく反映しています。その造形にはいかにも女学校らしい優しさがあり、コンクリート・パネルのつくり方などは技術上の見地からも興味深いものがあります。また、使用されたレンガには大阪窯業、岸和田煉瓦など製造会社の刻印が多数確認でき、窯業が盛んであった泉南地域の製品を使ったと分かります。半世紀以前において住宅都市、教育都市として発展しつつあった時代の豊中市の歴史を物語る構築物として貴重な存在になっています。

北側塀の改変と現状

 昭和48年(1973年)から55年(1980年)にかけて校舎群は木造からコンクリート造に改築されました。このとき正門の位置も当初の北から南に変えられ、東・南・西の三辺の当初の塀は一部をのこして撤去されました。しかし当時の学校関係者や卒業生の要望により北辺の塀は旧状を残したと言います。もと正門があったところは当初の塀の形に倣って補填され、北辺全体が連続した塀となりました。補填された塀の長さは11スパンでしたが、そのうちの西寄の7スパン分が平成7年の阪神・淡路大地震のとき柱根元より倒壊し、なお復旧されていません。

お問合せ

教育委員会事務局 社会教育課 文化財保護係
〒561-8501 豊中市中桜塚3丁目1番1号 豊中市役所第一庁舎6階
電話:06-6858-2581
ファクス:06-6846-9649

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