聞き書き 水とくらし
豊中は、1960年代以降から高度経済成長期が続く中で、変貌の波を加速してきた。まだ農村の面影を残していた市の景観は様変わりし、田や畑の面積は激減してきた。今日では、身近な環境を守り、景観保護に力を入れるに至っている。
本市の水環境は、かっては大きな河川(大川)からの取水、農業用水の落水、湧水、地下水などの水に加えて、中小河川、用水路、溜池などが、いろいろな水辺を張り巡らしていた。なかでも農業用水は、自然を克倒して造ったものというよりも、丘陵、台地、低地それぞれの地勢を読み、村界や慣行水利権など、水をとりまく人々との折り合いをつけながら、その土地や生活に溶け込むように工夫され、流されてきたと言えよう。
現在、用水路の中には治水上の事由から残されているものが相当あるものの、今も水田に水を回している用水路は極めて少なくなり、埋め立てられたり、暗渠化されたりしている。
取材に歩いていて、目にする水路が細い線のようになり、宅地や工場の間を右に折れたり左に折たりして、その奥の水田になお脈々と水を送っているものや、わずかに噴水を配して残っている溜池に出会ったりすると、豊中の農業の現状をかい間みる思いがする。
『聞き書き』には、実際に米作りの苦労や水の取水・保守・管理の体験が生々しく語られている。洪水のことやそれに備えた工事、渇水の際の「雨乞い」や水争いを繰り返さないための厳しい慣行尊重、土地条件を考えた農作物栽培など、一つひとつ伝承しておくべき貴重な内容である。
間き取りの中で、消えようとしている言葉に出会ったが、これらは生活に結びついて生まれたもので、興味深い。例えば、「田を養う」「田に水を潤す」、溜池の維持・修繕を村中でする作業を「出つぶし」、渇水になった川の中に、なお沁み出す水を集めるために堀る溝を「ゆのぼり」、小さい池を「せぶり」、よく実った田を「じょうげ」、村落にある班別を「かいち、又はかいと(垣内)」。溜池で堤防の粘土を混ぜて突き固めた芯になる部分を「はがね(鋼)」などなど、さまざまである。ごく一部ではあるが、水路や池の「生き物」について採録したところがあるが、これらを通して、当時のありさまは、具体的にイメージ豊かに生き生きと伝わってくる。
市内には親水路づくりや池の改修等から、水辺の自然がより親しみやすいものとなり、用水路や溜池は、新たに街の中に潤いをもたらす景観となっている。これらの水環境は、郷土の歴史的な営みと深くかかわって、これからも私たちの暮らしの中に親しまれ、引き継がれていくようにと願っている。
小冊子が、郷土学習をはじめ、地域社会の理解に役立ち、活用頂ければ幸いである。
平成8年(1996年)3月 教育研究所 瀧 健三
出典:豊中市立教育研究所 研究紀要100号「聞き書き水とくらし 第二集」 1996年3月