豊中が発祥、高校ラグビー

高校ラグビーの会場といえば東大阪市の近鉄花園ラグビー場がおなじみですが、大正7年(1918)1月12日、「第1回日本フートボール優勝大会」が開催されたのは、高校野球発祥の地でもある豊中グラウンドでした。
当時の「フートボール」は、ラ式と呼ばれたラグビーフットボールとア式と呼ばれたアソシエーションフットボール(現在のサッカー)の総称で、第1回大会もラ式とア式の合同大会でした。第1回ラ式参加校は全同志社、三高、全慶応、京都一商のわずか4チーム。初戦を報じた新聞が、ボーダー柄のシャツを「小豆色と白とのダンダラのユニフォーム」と描写し、「獅子奮迅の勢いを以(もっ)て検討する状態は観る者をして壮観の念禁ずる能(あた)はざらしむるものあり」と激しい戦いぶりを興奮気味に伝えていることからも、ラグビーがまだとても珍しかったことがうかがえます。第1回大会は全同志社の圧勝で幕を閉じました。
大会はのちに「全国中等学校ラグビーフットボール大会」「全国高等学校ラグビーフットボール大会」と名称を変え、大正12年の第6回大会からは会場も宝塚球場に。その後、甲子園球場や西宮球場などを経て、昭和38年(1963)の第42回大会からは現在の花園ラグビー場で開催されています。現在の玉井町3丁目あたりにあった豊中グラウンドは大正末期に解体され、今は閑静な住宅地になっています。
昨年12月には、大会が80回を迎えたのを記念して、阪急豊中駅前広場にモニュメントが設置されました。選手がキックしたラグビーボールがゴールへと軌跡を描いて飛んでいく躍動感のあるブロンズ彫刻です。台座には、大会の経緯が記され、ここ豊中がラグビー発祥の地であることを語り伝えています。
(2003年10月広報「とよなか」より)