開院80周年記念特集
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更新日:2024年4月12日
第1弾~市立豊中病院のはじまり~
市立豊中病院の沿革(1)
終戦前年の昭和19年(1944年)4月、私立病院を買収し、豊中市民病院が誕生しました。当初は内科、外科、小児科の3科のみをもっての発足で、開設日は4月12日、ベッド数は31床でした。
昭和29年(1954年)7月には豊中市岡上の町に場所を移し新病院が竣工されました。診療科は内科・外科・小児科・皮膚泌尿器科・耳鼻咽喉科・整形外科・産婦人科・眼科・理学診療科・歯科で構成され、一般病床112床、結核病床45床の計157床となりました。また、名称を市立豊中病院と改称しました。
昭和32年(1957年)7月に、市立豊中病院は総合病院の認可を受け、病床数については同年9月に222床、昭和35年(1960年)に339床へ拡大し、地域のみなさまを支える医療として、発展していきました。
昭和41年(1966年)11月、岡上の町の病院敷地内に南館病棟等の増改築工事が竣工されました。診療科としては第1内科、第2内科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、ひ尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科が、診療補助科としては放射線科、歯科、麻酔科、中央検査科、健康管理科、母子保健科、中央手術科で構成されていました。このとき、病床数は539床まで拡大しました。昭和45年(1970年)には脳神経外科、昭和47年(1972年)には心臓外科を新設しました。病院の規模拡大によるスタッフの増加に伴い、市立豊中病院看護婦託児所の開所や、看護婦寄宿舎も新築されました。
寄稿文
木村名誉病院長(昭和63年~平成11年在職)
市立豊中病院が創立80周年を迎えられた事、衷心よりお祝い申し上げます。
太平洋戦争中の1944年4月に設立された豊中市民病院が、10年後の1954年7月に新築移転して市立豊中病院としてスタートした時に入職し、現柴原の新病院でも勤務し得た私にとっては、光陰矢の如しさながら感無量であります。
心温かな信頼される医療の提供の基本理念のもと全職員一丸となって、地域医療の中核病院としての更なる前進を祈っています。
清原名誉総長(平成23年~平成24年在職)
創立80周年おめでとうございます。
私は平成7年阪神大震災の4ヵ月後から常勤として16年、その後非常勤として7年間勤務させていただきました。この間、病院機能評価の認定に3回、国指定のがん連携拠点病院、地域医療支援病院の認定に関わらせていただき、豊中病院が北摂の中核病院として機能する様を具にみて参りました。
今後とも心温まる日常診療を担い、また初期研修、専攻医の臨床研修で日本のモデル病院を目指して発展されることを祈念しております。
開院80周年記念ロゴデザインについて
開院80周年を迎えるにあたり、ロゴデザインの院内公募を実施し、放射線治療科の医師のデザイン案が最優秀賞に選ばれました。
患者さまを始め、市民のみなさんに親しみを持っていただけるよう、空港のあるまち豊中にちなんでデザインされました。記念ロゴを用いて今後も積極的な広報活動を行って参ります。
事業管理者よりごあいさつ
市立豊中病院は、令和6年(2024年)開設80周年を迎えます。一方、開設元である豊中市は市制施行88周年。つまり、豊中市はその歴史の最初期を除いてずっと、市立病院を持つ市として歩んできたことになります。
市にとって、市立病院の設置は必須ではありません。しかし、本市は病院を持つという道を選び、しかも現在563床31診療科を擁する、自治体病院としては有数の規模と医療内容を保持する病院として当院―市立豊中病院があります。
これは、本市が発展と成長を続ける都市であったこと、その歴史を築いてきた豊中市民の皆様の力の賜物に他ならないでしょう。
そして、それに応えるかたちで、私たちの先人にあたる医療従事者が日々の努力を重ね、今年80年目の当院があるといえます。
今後、わが国全体が一層の長寿社会となり、一方で子育て施策の充実が必要とされるなかで、医療の果たす役割はますます重要になります。「心温かな信頼される医療の提供」という、まさに理念どおりに頼りになる当院がある―だから、豊中市が「住み続けたいまち」として発展と成長を続ける。80年からいずれ100年を展望して、そのような歴史をつくっていけるように、今いる私たちは常に新たな取り組みにチャレンジし続けたいと思います。
市立豊中病院 事業管理者
直川 俊彦
第2弾(coming soon)
第3弾(coming soon)
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市立豊中病院 経営企画課