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水田西吟撰原田神社奉納俳諧額

ページ番号:749789791

更新日:2023年5月11日

写真

市指定文化財

水田西吟撰原田神社奉納俳諧額
(みずたさいぎんせんはらだじんじゃほうのうはいかいがく)
所在地:豊中市曽根東町3-7-3(中央公民館内特別収蔵庫)
指定年月日:平成22年(2010年)4月1日

 この額は、今から約300年前の元禄16年(1703年)、原田村の氏子連中から原田神社に奉納されたものです。高さ約70cm、幅約3.6mの大きなもので、頭書に「奉納俳諧一千百四十余韻之内秀逸百句」と表題が記され、点者(評者)西吟の名前、西吟が出したお題の前句(まえく)7句に続き、選ばれた100句の秀逸句(勝句)を順に並べています。各句には作者の俳号や居住地名も記され、原田、服部、熊野田など地元の村々だけでなく、遠くは大坂からも広く応募されたことが窺われます。
 元禄という時代は、豊かな経済力を背景に、歌舞伎や浄瑠璃など華麗な町人文化が花開いた時代でした。俳諧も武士や町人層から、やがて農民層にも広がり、雑俳(ざっぱい)と呼ばれる庶民文芸として親しまれました。その作風は、芭蕉などの風雅性を求めるものとは異なり、日常生活や人情を主題とした滑稽味や通俗的な性格を多分に帯びています。
 この額を自らの筆で留めた水田西吟は、もと談林(だんりん)派俳諧の祖、西山宗因(にしやまそういん)に師事し、後には井原西鶴(いはらさいかく)にも学んで西鶴の「好色一代男」の版下を書いたことでも有名です。大坂で30年を過ごした後、桜塚の地に落月庵を営み、伊丹の上島鬼貫(うえしまおにつら)など当代の名だたる俳人たちとも親しく交わりました。数多くの弟子たちを育てたといわれ、近くの瑞輪寺には彼らによって建てられた供養塔「西吟の塔」があります。
 当俳諧額は、桜塚における西吟の暮らしぶりを生き生きと描くばかりでなく、当時の農村の文化的レベルや、都市大坂と農村の関係などを明らかにする上で、非常に貴重な歴史資料と考えられます。

お問合せ

教育委員会事務局 社会教育課 文化財保護係
〒561-8501 豊中市中桜塚3丁目1番1号 豊中市役所第一庁舎6階
電話:06-6858-2581
ファクス:06-6846-9649

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