開院80周年記念特集
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更新日:2024年10月28日
第1弾~市立豊中病院のはじまり~
市立豊中病院の沿革(1)
終戦前年の昭和19年(1944年)4月、私立病院を買収し、豊中市民病院が誕生しました。当初は内科、外科、小児科の3科のみをもっての発足で、開設日は4月12日、ベッド数は31床でした。
昭和29年(1954年)7月には豊中市岡上の町に場所を移し新病院が竣工されました。診療科は内科・外科・小児科・皮膚泌尿器科・耳鼻咽喉科・整形外科・産婦人科・眼科・理学診療科・歯科で構成され、一般病床112床、結核病床45床の計157床となりました。また、名称を市立豊中病院と改称しました。
昭和32年(1957年)7月に、市立豊中病院は総合病院の認可を受け、病床数については同年9月に222床、昭和35年(1960年)に339床へ拡大し、地域のみなさまを支える医療として、発展していきました。
昭和41年(1966年)11月、岡上の町の病院敷地内に南館病棟等の増改築工事が竣工されました。診療科としては第1内科、第2内科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、ひ尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科が、診療補助科としては放射線科、歯科、麻酔科、中央検査科、健康管理科、母子保健科、中央手術科で構成されていました。このとき、病床数は539床まで拡大しました。
昭和45年(1970年)には脳神経外科、昭和47年(1972年)には心臓外科を新設しました。病院の規模拡大によるスタッフの増加に伴い、市立豊中病院看護婦託児所の開所や、看護婦寄宿舎も新築されました。
寄稿文
木村名誉病院長(昭和63年~平成11年病院長)
市立豊中病院が創立80周年を迎えられた事、衷心よりお祝い申し上げます。
太平洋戦争中の1944年4月に設立された豊中市民病院が、10年後の1954年7月に新築移転して市立豊中病院としてスタートした時に入職し、現柴原の新病院でも勤務し得た私にとっては、光陰矢の如しさながら感無量であります。
心温かな信頼される医療の提供の基本理念のもと全職員一丸となって、地域医療の中核病院としての更なる前進を祈っています。
清原名誉総長(平成23年~平成24年総長)
創立80周年おめでとうございます。
私は平成7年阪神大震災の4ヵ月後から常勤として16年、その後非常勤として7年間勤務させていただきました。この間、病院機能評価の認定に3回、国指定のがん連携拠点病院、地域医療支援病院の認定に関わらせていただき、豊中病院が北摂の中核病院として機能する様を具にみて参りました。
今後とも心温まる日常診療を担い、また初期研修、専攻医の臨床研修で日本のモデル病院を目指して発展されることを祈念しております。
開院80周年記念ロゴデザインについて
開院80周年を迎えるにあたり、ロゴデザインの院内公募を実施し、放射線治療科の医師のデザイン案が最優秀賞に選ばれました。
患者さまを始め、市民のみなさんに親しみを持っていただけるよう、空港のあるまち豊中にちなんでデザインされました。記念ロゴを用いて今後も積極的な広報活動を行って参ります。
事業管理者よりごあいさつ
市立豊中病院は、令和6年(2024年)開設80周年を迎えます。一方、開設元である豊中市は市制施行88周年。つまり、豊中市はその歴史の最初期を除いてずっと、市立病院を持つ市として歩んできたことになります。
市にとって、市立病院の設置は必須ではありません。しかし、本市は病院を持つという道を選び、しかも現在563床31診療科を擁する、自治体病院としては有数の規模と医療内容を保持する病院として当院―市立豊中病院があります。
これは、本市が発展と成長を続ける都市であったこと、その歴史を築いてきた豊中市民の皆様の力の賜物に他ならないでしょう。
そして、それに応えるかたちで、私たちの先人にあたる医療従事者が日々の努力を重ね、今年80年目の当院があるといえます。
今後、わが国全体が一層の長寿社会となり、一方で子育て施策の充実が必要とされるなかで、医療の果たす役割はますます重要になります。「心温かな信頼される医療の提供」という、まさに理念どおりに頼りになる当院がある―だから、豊中市が「住み続けたいまち」として発展と成長を続ける。80年からいずれ100年を展望して、そのような歴史をつくっていけるように、今いる私たちは常に新たな取り組みにチャレンジし続けたいと思います。
市立豊中病院 事業管理者
直川 俊彦
第2弾~地域とともにあゆむ~
市立豊中病院の沿革(2)
長らく岡上の町に居を構えていた市立豊中病院でしたが、築年数の経過による病院の建替えについて、新病院基本構想が昭和63年(1988年)4月に策定されました。同年12月には市議会において新病院建設予定地が二尾池に決定され、平成6年(1994年)新病院建設工事が開始されました。
そんな中、平成7年(1995年)に阪神・淡路大震災が発生しました。豊中市では推定震度 5 弱~6 弱程度の揺れが襲い、市立豊中病院も院内施設をはじめ地震の被害を受けました。一方で、地震発生後は市内の避難所への医療巡回を行うなど、地域の人々を賢明に支えました。
平成9年(1997年)、いよいよ新病院が現在の柴原町4丁目14番1号に竣工されました。診療科は内科、神経内科、精神科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科、心臓血管外科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、リハビリテーション科、放射線科、歯科、歯科口腔外科、麻酔科、(病理診断科、救急診療科)で構成され、病床数は619床(伝染病床含む)でした。
また、平成11年(1999年)には、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」の施行により、感染症指定医療機関の指定を受け、さらに、平成14年(2002年)には、国の地域がん診療連携拠点病院の指定を受けました。市立豊中病院は、時代とともに少しずつ形を変えながらも、地域に求められる役割を果たすため、着実に歩みを進めてきました。
名誉称号授与式の様子
半世紀以上に渡る歴史が連綿と紡がれてきた市立豊中病院において、総長または病院長を務められた方々に向けて、令和5年(2023年)9月、市立豊中病院名誉総長及び名誉病院長授与式が執り行われました。
今回の80周年記念特集ページ作成にあたっても、寄稿文をお寄せいただきました。
寄稿文
高見名誉病院長(平成11年~平成13年病院長)
創立80周年、おめでとうございます。
豊中病院は、戦後間もない1944年に呱々の声をあげ、昭和・平成・令和にかけて2度の移転を経て、市民の健康を守り続けてきました。現在の緑豊かな柴原の地では、21世紀に相応しい病院として高い評価を得ています。近年、医療のデジタル化が急速に進み、様々な領域に生成AIが活用され始めました。豊中病院が新しい時代に即応し、さらに発展することを願っています。
松山名誉病院長(平成13年~平成17年病院長)
この度は、市立豊中病院創立80周年、ご同慶の至りです。私は21世紀最初の2001(平成13)年4月から4年間病院長を勤めました。1997年、前任の国立循環器病センターから副院長として赴任し、4ヶ月間は阪急宝塚線路脇にあった旧病院で過ごしましたが、立派な建物で、コンクリートの床が毎日綺麗に磨かれ、掃除されていたのが印象的でした。
27年経った今の病院は、建設当時の風格が維持されています。立派な建物はともかく、医師をはじめ従事するすべての人たちがそれぞれの立場で、楽しく働く伝統が受け継がれていて、今後ともますます市民に愛される病院であり続けることを願っています。
眞下名誉総長(平成24年~令和元年総長)
市立豊中病院の創立80周年記念を心よりお祝い申し上げます。私は、大阪大学を退職して平成24年4月に市立豊中病院に総長として赴任させていただき、令和元年8月末をもって退職致しました。
市立豊中病院は、500床以上の入院ベッド数を有する地域中核病院として、急性期医療に特化するかたちで地域に多大な貢献をしてこられました。市立豊中病院を退職して介護老人保健施設かがやきに施設長として勤務するようになって実感するようになったのは、市立豊中病院の存在のさらなる大きさでした。
いろいろな疾患やその後遺症を有する高齢者が100人近く療養されていることから、安泰な日はまれで毎日のように誰かが体調を崩して急性期医療が必要な状態になります。医療設備を持たない老健施設としては急性期病院の存在はきわめて重要で、特にオールラウンドに高いレベルの医療を提供できる市立豊中病院はかけがえのない頼もしい存在となります。
どうか、地域中核病院として今後も地域にとって頼りになる存在であり続けていただきたいと心から願う次第です。
総長よりごあいさつ
令和6年4月1日付けで着任致しました。
大阪大学在職中より市立豊中病院は北摂地域医療を担う重要施設であると認識しておりましたが、実際に市立豊中病院の職員となってみますと職員全員のご活躍に感嘆する毎日です。病床の稼働率が90%を超える日も多く診療規模自体が大きいのですが、特に緊急入院数や緊急手術数の多さから、危機対応という観点でも豊中市の医療における役割の大きさがうかがい知れます。例えば先般流行しておりましたCOVID-19肺炎についても中等症から重症患者の一部まで多数の患者の診療を担い北摂地域の医療体制を支える重要な働きをしてきたことは記憶に新しいものです。
創立80周年を迎えると伺い、私自身も豊中市民であることから感慨深いものがあります。この80年の間に医学の進歩、国民の高齢化、医療保健制度の改正といった病院を取り巻く状況が大きく変化して参りました。市立豊中病院はそれらの変化に適応して今に至る訳ですが、これからも市民のご支援を頂きつつ状況変化にも適応し地域の中核病院であり続けることに疑いを持っておりません。私も職員の一人として病院の発展に微力を尽くす所存であります。
市立豊中病院
総長 藤野 裕士
第3弾~コロナ禍を乗り越えて~
市立豊中病院の沿革(3)
当院は、地方公営企業法の全部適用へ移行したことを受け、平成25年(2013年)から5年毎に市立豊中病院運営計画を策定したうえで取組み状況を公表し、急性期中核病院としての基本目標を達成するための取組みを進めてきました。
一方、感染対策の充実を図るために感染対策室が平成25年(2013年)に設置されてから数年後の令和2年(2020年)、横浜港停泊中の客船乗客受入れ要請に始まったコロナ禍では、北摂で唯一の感染症指定医療機関として新型コロナウイルス感染症患者の入院診療を流行初期から数多く行ってきました。特に、妊産婦・小児・人工透析患者が感染した場合に受入れができる病院は限られていましたが、当院では積極的な受入れを行いました。当初はウイルスに関する情報が少ない中でしたが、感染対策室が主導となり感染対策を徹底し、受入れ体制を整えました。
詳しくは、病院だより57号「新型コロナウイルス感染症への取組み」(令和5年(2023年)3月)をご覧ください。
新型コロナウイルスの流行初期から約3年余りは一般診療の縮小を余儀なくされましたが、より急性期病院としての役目を遂行するために令和5年度(2023年度)には特定病床を返還し、その人員やスペースを急性期医療に充てることとしました。
また、令和6年度(2024年度)には5つのセンター(周産期母子医療センター、消化器センター、心臓病センター、糖尿病センター、脳卒中センター)を設置し、さらなる総合力を活かした診療を進めています。今後も地域との連携・役割分担も行いつつ当院の求められる役割を果たしていきます。
寄稿文
島野名誉病院長(平成17年~平成23年病院長)
市民の皆様から親しまれ、信頼され続けて80周年を迎えられたことを心よりお慶び申し上げます。
医師会や保健所等々地域との密接なチーム医療、全職員の使命感の醸成、高い医療水準をこれからも追求され、市民病院としての使命をますます充実されることを祈念しております。
堂野名誉病院長(平成28年~令和5年病院長)
創立80周年に際して、一言祝辞を申し上げます。
市立豊中病院は創立以来、地域の最も信頼できる中核急性期病院として、長年にわたり質の高い医療を提供し、多くの命を救って参りました。医療スタッフならびにそれを支える全ての職員の皆様方の尽力に心から感謝申し上げます。80年に渡り蓄積された病院の歴史は、これからの未来の発展を目指すための大きな財産となります。この記念すべき日に、病院のさらなる繁栄と、全ての人々の幸福をお祈り申し上げます。
吉川名誉総長(令和元年~令和6年総長)
市立豊中病院創立80周年を心よりお祝い申し上げます。
北摂地域の急性期中核病院として、地域の皆様に、安心・安全な医療、高度な専門医療を提供されました。また、優れた医療人の育成に多大な貢献をされました。この80年間に従事されました職員の皆様に深甚なる感謝と敬意を表します。創立90周年、100周年に向かって、益々発展されることを期待しています。今後も皆様方からの暖かいご支援、ご協力をお願い申し上げます。
こども記者withキッズ感染予防セミナー
開院80周年記念夏休み特別企画として、小学生向けのイベントが実施されました。体験コーナーでは、子どもたちの笑顔がこぼれていました。また、病院長へのインタビューでは、子ども目線ならではのユーモアある質問がとびかいました。
詳しくは、病院だより60号「市立豊中病院80周年記念特集~地域を支える医療~」(令和6年(2024年)9月)をご覧ください。
病院長よりごあいさつ
開設以来80年、当院が地域の中核病院としてここまで発展してこられたのも、市民の皆様のご理解、地域の医療関係者の方々のご協力、そして当院で働かれた先輩職員の皆さんの不断の努力の賜物と、深く感謝申し上げます。
当院は公立病院として、救急、小児・周産期、感染症などの政策医療を担うとともに、がん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病といった多くの方々が罹患する疾患に対して、高度な専門医療を提供しています。さらに、当院は31の診療科を有する総合病院であり、様々な併存疾患を有する患者さんにも、各科が連携して安心安全な医療を提供しています。コロナ禍にあっても、この総合力はいかんなく発揮され、様々な併存疾患を有する新型コロナウイルス感染症の患者さんにも、適切な医療が提供できました。今後、高齢化がすすみ、複数の疾患を有する患者さんが増加する中、こうした総合力を備えた病院の重要性は益々高まるものと思われます。一方、当院は医療者の育成にも力を注いできました。中でも医師の初期研修教育には定評があり、次年度、当院での初期研修希望者数は、西日本ではトップとなりました。このように医学生から人気が高いのも、開院以来、大阪大学から多くの優秀な人材派遣をいただき、常に診療・教育の質を担保してきた実績と、それに裏打ちされた病院のブランドがあるからだ思います。
当院の研修室には、「温厚篤実」という言葉が、額にいれて掲げられています。80年の歴史の中で、先輩職員から引き継がれた精神と姿勢を守りつつ、今後も患者さん目線にたった様々な変革に取り組み、これからの10年、20年も「心温かな信頼される医療」を引き続き提供していくことを、この節目の年に職員一同、決意する次第です。今後ともご支援のほど、どうかよろしくお願いいたします。
市立豊中病院
病院長 岩橋 博見
お問合せ
市立豊中病院 経営企画課