空襲被害を伝える説明板「玉井町への空襲を忘れない」
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更新日:2024年9月2日
空襲被害を伝える説明板「玉井町への空襲を忘れない」を設置しました
豊中市は、昭和20年(1945年)6月の豊中空襲で犠牲になった玉井町地域に住んでいた住人をしのび、空襲被害を伝える説明板「玉井町への空襲を忘れない」を、令和4年(2022年)6月に玉井町2丁目第2公園内に設置しました。
説明板全文
終戦目前の昭和20年(1945年)6月7日午前11時過ぎ、豊中に米軍爆撃機B29が初めて来襲、大量の爆弾を投下しました。
ここ玉井町一帯では1トン爆弾など10発が炸裂(さくれつ)、強烈な爆風で家は吹き飛び、39人が亡くなったとされています。
その多くが女性や子どもでした。
15日にも空襲は続き、家並みは焼夷弾(しょういだん)で焼け野原になり、さらに犠牲者が出ました。
6月、7月の6度の空襲で、豊中市で死亡した人は575人、負傷した人は895人にのぼり、大阪府内で3番目の惨禍とされています。
平成10年(1998年)、この公園で1トン爆弾の不発弾が見つかりました。平成25年(2013年)には、玉井町での遺跡調査で、
爆弾投下でできた巨大な穴が発掘されました。
玉井町への空襲の史実を記憶し、後世に伝えます。この地で犠牲となった人々に思いを寄せ、平和を築く誓いを新たにします。
令和4年(2022年)6月7日
豊中市
設置場所
豊中市玉井町2丁目第2公園内( 住所:大阪府豊中市玉井町2丁目9番)
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