沖縄兄弟都市提携のいきさつと交流
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更新日:2024年5月21日
兄弟都市提携のいきさつ
豊中市と沖縄市の交流の始まりは、昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から、豊中の沖縄戦の戦没者の遺族にと、霊石と仏桑華(ハイビスカス)が届けられたことです。
そのきっかけとなったのは、当時の豊中市竹内義治助役(故人・昭和41年から市長)が、沖縄道路事情視察団の一員として沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)の大山朝常市長(故人)と懇談する機会があったことでした。
翌年の昭和40年から、コザ市職員の豊中市の様々な部局での研修が始まりました。当時アメリカ軍の統治下にあった沖縄では日本の行政事情が分かりにくかったのです。コザ市職員の間では「豊中学校」と呼ばれたこの研修に訪れた職員は、昭和50年代にかけてのべ100人あまり、なかには数か月にわたって滞在した職員もいました。
昭和47年(1972年)に沖縄が本土に復帰し、昭和49年(1974年)にコザ市と美里村が合併して「沖縄市」が誕生。同年11月3日、沖縄市誕生市民祭典の場で、「兄弟都市宣言」に調印しました。
兄弟都市宣言
「豊中市と沖縄市の友好は昭和39年沖縄市が第2次世界大戦の戦没者遺族のために、豊中市に霊石と仏桑華を送ったことにはじまる。
以来、両市は都市問題、教育文化の交流を重ね相互の理解と信頼を深めてきた。
この歴史的背景のもとに、更に両市の友好と市民相互の交流を深め、
市民福祉と平和を祈念してここに兄弟都市であることを宣言する。
昭和49年11月3日。豊中市長、下村輝雄、沖縄市長、町田宗徳」
姉妹都市ならぬ『兄弟都市』であるのは、沖縄の「いちゃりばちょーでぇ(出会えば皆、兄弟)」という言葉に由来していると言われています。
兄弟都市交流
兄弟都市提携後もさまざまな市民交流や行政交流が行われてきました。
昭和39年(1964年) |
コザ市から豊中市へ霊石と仏桑華(ハイビスカス)が贈られる |
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昭和49年(1974年) | 沖縄市誕生(4月1日) |
平成4年(1992年) | 沖縄市から豊中市役所第二庁舎竣工を記念し「友好のシーサー」(作:宮城秀雄氏)贈呈 |
平成5年(1993年) | 豊中市から沖縄市役所新庁舎竣工を記念し「友好の壁画」(作:城間喜宏氏)贈呈 |
平成7年(1995年) | 沖縄市及び関係団体から阪神・淡路大震災の災害救援金と救援物資が送られる |
平成9年(1997年) | 新生豊中まつりを開催。沖縄市のスポットをあてた「おっきなわ」をテーマとして沖縄物産や伝統芸能が紹介され、大いにまつりを盛り上げる(以後、毎夏、沖縄の文化・芸能を紹介) |
平成16年(2004年) | 兄弟都市提携30周年 |
平成26年(2014年) | 兄弟都市提携40周年 |
豊中市第2庁舎竣工を記念して沖縄市民により寄贈されたシーサー。
沖縄ではシーサーは安全・平和・繁栄のシンボルとして民家の屋根や門柱、公共施設にも設置され、広く親しまれています。
毎夏沖縄市で開かれる「ピースフル・ラブ・ロックフェスティバル」。
豊中まつりで開催される「豊中ピースフル・ラブ・ロックフェスティバル」のグランプリバンドが翌年の本フェスティバルに出場します。
毎年1月、沖縄市で開催される「沖縄市産業まつり」。
豊中市は平成25年度から参加。以降、本市キャラクター・マチカネくんとともにまつりを盛り上げています。
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