高校野球発祥の地
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更新日:2019年10月3日
球史ここに始まる
毎年のようにドラマがある全国高等学校野球選手権大会(夏の全国高校野球大会)。高校野球といえば舞台は甲子園。
でも実は、大会の前身である全国中等学校優勝野球大会が初めて開催されたのは、現在の玉井町3丁目にあった豊中グラウンドです。
大正4年(1915年)、第1回大会が豊中で開催
豊中グラウンドは、明治43年(1910年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、沿線の集客のため大正2年(1913年)5月に建設したものです。
赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方メートルと広く、当時としては日本一の設備を誇ったそうです。
第1回大会の参加校は10校。5日間の熱戦のすえ、京津地区代表の京都府立第二中学(現・鳥羽高校)が優勝しています。
第1回全国中等学校優勝野球大会
当時大阪では野球が大変な人気で、たくさんの観客が詰めかけました。しかし、観客があまりに多かったため収容しきれず、第3回大会からは、会場は西宮の鳴尾球場に移されることになりました。甲子園で行われるようになったのは、大正13年(1924年)の第10回大会からです。
豊中グラウンドは大正末期に取り壊され、跡地は住宅街に変わりました。今も近くの民家の塀に、豊中グラウンドの外壁の一部といわれる赤レンガが残っています。
「高校野球発祥の地記念公園」としてリニューアル
昭和63年(1988年)に、ちょうどグラウンドの正門の向かい側にあたる一角を高校野球メモリアルパークとして整備しました。これは、第70回大会を記念して豊中市と日本高等学校野球連盟が協力して建設したもので、レンガ塀には第1回大会始球式のレリーフがはめ込まれていました。
この高校野球メモリアルパークは、平成29年(2017年)「高校野球発祥の地記念公園」としてリニューアルオープンしました。
東エリアには、第1回大会からの歴代優勝校・準優勝校の名前が入ったプレートを掲載する壁が設置されています。このプレートは第200回大会まで設置可能です。
西エリアには、豊中グラウンドの門柱を再現したメインエントランスを設けたほか、バットの原料であるアオダモの木の植栽スペースや豊中グラウンドの解説板・平面図を設置しています。
西エリア(メインエントランス)
西エリア(レンガウォール)
東エリア(歴代優勝・準優勝校ウォール)
東エリア(歴代優勝・準優勝校ウォール)
高校野球発祥の地・豊中 親善大使
市は、高校野球発祥の地・豊中の名を広く全国に発信するため、平成22年(2010年)に「高校野球発祥の地・豊中 親善大使」の制度を設けました。初めて親善大使に選ばれたのは、市にある履正社高校出身で東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手です。
高校野球発祥の地・豊中市 応援団長
市は、高校野球発祥の地・豊中市をさらにPRするため、平成29年(2017年)に「高校野球発祥の地・豊中市 応援団長」として、松竹芸能所属のかみじょうたけしさんを任命しました。
高校野球発祥の地・豊中市 応援団長について詳しくはこちらから
平成27年(2015年)に高校野球100周年を迎えました
高校野球が100周年を迎えるのを機に、広報誌「広報とよなか」の平成27年7月号の特集で「球史ここに始まる~豊中で生まれた高校野球100周年」をテーマに、高校野球発祥の地としての歴史と歩みを振り返っています。ぜひご覧ください。
広報とよなか平成27年7月号「特集」(PDF:2,241KB)
平成30年(2018年)に第100回大会を迎えました
全国高等学校野球選手権大会の第100回大会が行われた平成30年(2018年)。
1月の広報誌で市内にある履正社高校(長興寺南)硬式野球部の皆さんと市長が対談を行い、8月の広報誌では、記念事業などを通してあらためて歴史を振り返っています。
広報とよなか平成30年1月号「特集」(PDF:1,662KB)
広報とよなか平成30年8月号「特集」(PDF:1,180KB)
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