山田洋次さん(平成28年6月1日 豊中市議会議決)
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更新日:2020年1月22日
豊中市名誉市民
山田 洋次(やまだ ようじ)さん
映画監督、脚本家
【略歴】
昭和 6年(1931年) 豊中市生まれ
昭和29年(1954年) 東京大学法学部卒業、松竹株式会社入社
昭和36年(1961年) 「二階の他人」で監督デビュー
昭和44年(1969年) 「男はつらいよ」映画化、以後48作品を制作
昭和53年(1978年) 第1回日本アカデミー賞最優秀監督賞
平成14年(2002年) 第76回米国アカデミー賞外国語映画部門ノミネート、勲四等旭日小綬章
平成16年(2004年) 文化功労者
平成20年(2008年) 日本藝術院会員
平成24年(2012年) 文化勲章
上記以外にも、アジア映画祭最優秀喜劇賞、上海国際映画祭最高監督賞、アジア映画修身監督賞、アジア・フィルム・アワード特別功労賞、ベルリン国際映画祭特別功労賞などの国際的映画賞を多数受賞。
山田さんは、昭和6年(1931年)豊中市に生まれました。父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごされ、昭和22年(1947年)に大連から日本へ引き揚げられました。その後、昭和29年(1954年)に東京大学法学部を卒業し、松竹株式会社に入社。野村芳太郎作品の脚本家・助監督を務められ、昭和36年(1961年)に「二階の他人」で監督デビューされました。
昭和43年(1968年)、フジテレビの連続テレビドラマ「男はつらいよ」の原案・脚本を担当。テレビドラマのヒットにより、同作は昭和44年(1969年)に映画化され、その後27年間に全48作が制作される大ヒットシリーズとなりました。
そのほかにも、「幸福の黄色いハンカチ」、「学校」シリーズ、「たそがれ清兵衛」などを制作。また、最近では、平成26年(2014年)に「小さいおうち」、「母と暮せば」、「家族はつらいよ」などの作品を制作されています。
このような功績が称えられ、昭和53年(1978年)に第1回日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞するほか、平成14年(2002年)に勲四等旭日小綬章、平成24年(2012年)に文化勲章など数々の賞を受賞されました。また、平成20年(2008年)より日本藝術院会員でもあります。
山田さんと本市とのかかわりは、山田さんが2歳まで過ごされていた生家が同市に現存しており、その生家の特徴である赤い大きな三角屋根は、映画「小さいおうち」の家のモデルともなっています。平成26年には、市民グループ「とよなか山田会」の初代代表・能登宏之さんや同市の申し出により、山田さんが生家を訪れました。平成27年には、淺利敬一郎豊中市長との対談(広報とよなか平成28年1月号)を行い、その中で山田さんは「豊中の家から僕の歴史は始まったと感じた」と語っています。
山田洋次さんと淺利敬一郎市長の対談(平成28年1月号 広報とよなかより)(PDF:4,362KB)
山田洋次さんへ名誉市民称号を贈呈しました(平成28年10月15日)
岡町図書館に「名誉市民・山田洋次ライブラリー」を開設しました(平成28年9月)
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